わたしがブログを書く理由
90年代からオンラインに文章や写真を垂れ流し続けて来ました。
あの頃、それだけが彼に届くかもしれない手段だったから。
代々木のカンボジア料理屋のかぼちゃケーキの写真を、PalmのTIPSを、落書きみたいなAdobe Illustratorでの習作を、自作のTrueType Fontを、友達とのたわいない会話の断片を、銀座で見たフランス映画を、夜明けの新宿ゴールデン街の情景を、戸川純リスペクトを、つたないレシピを、卒論の進捗を、徹夜仕事の愚痴を。
要約すると「おまえなんかいなくても私はこんなに人生をエンジョイだ」ということを、虚空に向かって発信しつづけてた。
クローズドなmixiは彼に届く手段ではなかった。あえて繋がってなかったし、あしあとあるし。奴はここには、絶対来ないってわかってた。
別に気づいてくれてもくれなくてもいい。でも、わたしは生きてるって言い続けなくちゃ、と毎日毎日せっせと書いた。
そしたら、彼じゃない人ばかりにたくさん引っかかって、テレビに取材されたり、雑誌に載ったり、製品の意見を聞きたいと某社に呼ばれたり、いろいろあった。
彼は吉祥寺にいた。
翻って、今。
わたしが今ブログを書いてる根底の理由はしょこたんと同じで、わたしは生きてるからだ。
生きた証を残したいのだ。死んでもちょっとだけ残りたい。しょこたん的にいうと貪欲ってやつだ。今風にいうとライフログかもしれない。
その、生きてるぞと見せつける相手が、自分以外にいるとするならば、むすめだ。ママはあなたと家族と友達と機械とインターネットを愛して幸せに生きているよ、と後の世に伝えたい。
だからわたしは、わたしの好きなフォーマットで好きにかけるわたしの場所であるブログはここ一つに統一したい。これからもコードもレシピも妄想も雑多にここに書いていこう。
彼とむすめがいつか読む日のために。ママはふつーに楽しく生きてます。
とか言って、本当はもっと邪な欲もたくさんある。情報が誰かの役に立てばいいなとか。誰か反応(共感)してくれればいいなとか。アフィリエイトは、やるならもっと効率的な方法があるのは知ってるけど。。